信仰の証

婦人会のお茶の会の時、みんなで信仰の証をしました。ぜひ多くの方々…
に知っていただき、主の恵みと導きとを分かち合えたらと思い、教会だ
よりに掲載することにしました。次号以降にも続きます。乞うご期待!

義母の導きを通して  K姉
イエス様との出会い  S姉

******* 義母の導きを通して *******      K 姉


今から50年前以上になりますが、主人との結婚することになり、クリスチャンの義母に「いい嫁として認められたい」という、不純な動機から信仰へと導かれました。
 婚約中も義母から、主人共々3人で教会へいくよう、誘いの電話がありました.始めのうちは勿論、教会とキリストの関係も知りませんでした。断るのも悪いから、気の進まないままに教会へ、小さくなってお供させていただいたことを思い出します。

 結婚後、勤めの関係で故郷も段々と遠くなり、京都での5年間を経て当地に転勤してまいりました。これも一重に神様のお導きのうちにあったことを痛感いたします。と申しますのも勤務地(当時、蚕業試験場、環在の市役所の所)のすぐ北側に、那加教会がありました。教会の十字架を見上げる程の近さだったのです。何となくほっとした思いを今も覚えておりますが、これ迄、義母からの手紙には「何時も教会へ行きなさい。幼い子供達は宗教教育で育て上げるのが一番」、そして最後にはいつも聖句がしたためられておりました。それだけに私には、義母からの手紙に添えられ、奨められた言葉が、いつも心の中に強く残っておりました。

 さてこんな近い所に教会があっても、なかなか訪ねる決心がつきませんでした。神様はまず先に、二人の子供を教会学校へと導いて下さいました。子供から熱心に教会行きをすすめられ、一大決心の上、教会を訪ねたのがきっかけとなりました。37歳の時、やっと受洗させて頂き、信仰的に成長しないままですが、今日も教会生活を続けられておりますことは何より感謝でございます。残念乍ら教会をすすめてくれました息子達は今は教会を離れておりますが、幼いうちに教会学校で、イエス様に出会ったことは忘れることなく、事ある毎に救い主なるイエス様を、今も信じ続けている事と思います。

主人も教会への関心はあるのですが、まだ横を向いております。主人と一緒に教会に行けるようになることが、今の私の一番の願いです。本当に義母を通して信仰へと導かれましたことを感謝しています。主人は、いつになったらと思いますが、神様が必ず導いてくださることを信じて祈っています。

                              

******* イエス様との出会い *******      S 姉

 私がはじめてイエス様を知ったのは小学校の4年生のころのことでした。
童謡や、叙情歌を集めた歌の本の中に、賛美歌512番と十字架にかかられた、イエス様の絵が描かれていました。母が、「この方は、イエス様という神様で、みんなのために十字架にかってくださったんだよ」と救えてくれました。私の心の中に、その神様のことが深く刻み込まれました。イエス様を知りたいと思いました。

 小学校の学級文庫の中の西洋のお話を読むと、その神様が描かれていました。
戦争中の田舎の子供には、まだイエス様を探すすべがありませんでした。母は、6年生の時に亡くなりました。

 女学校に入った年の学芸会で、上級生の演じた「エミリヤの昇天」という劇の中で神様を知らされました。両親を亡くした、少女エミリヤは、弟や妹を養うために、一所懸命働きました。
そして病気になり、病気は重くなってしまいました。牧師さんが来ましたした。エミリヤは言いました。「先生、私は日曜日にも働かなければならなかったので、救会へ行けませんでした。神様は、私を天国へ入れて下さらないでしょうか?」。「大丈夫だよ、エミリヤ。神様を信じているということを神様が知っていてくださるから」。そして枕元で祈りました。賛美歌320番「主よ、みもとに」が流れました。今もあざやかにその場面が、思い出されます。この劇の演出は、クリスチャンのH先生だと
言うことを知りました。終戦の翌年のことでした。

 そして私がキリスト教会に通うことが出来る様になったのは、高校生になってからでした。蓄膿症になって、通い始めた耳鼻科の医院で、手術をすることになり入院した頃です。
先生は、元軍医さんで、一見こわい感じでしたが、奥様共々やさしいクリスチャンでした。毎朝賛美歌が、聞こえてきました。私の枕元でも、先生は賛美歌359番「夕日はかくれて」を歌い祈ってくださいました。医院の裏の離れで、伝道所をされていました。牧師さんは兼牧で来られていました。私の教会生活のはじまりです。神様はこの様にして招き入れて下さいました。